一つのことをし続けるということは、飽きに抗うことでなく、わくわくし続けること。

飽き性が一つのことをし続けるということは矛盾していることなのだろうか。

飽き性


あることが好きになり、はまるが、飽きがそのうち来てしまう。
飽き性だと自分のことを思っている。

ある作家さんの本を読み、気に入り、その作家さんの本を立て続けに読んでいると、ぱたりと読みたくなくなったり。
ぶりが大好きでぶりばっかり食べていたら、あるときぶりを一口食べたら気持ち悪くなり食べれなくなったり。
寝る間を削りのめりこんだRPGに新作ができ、喜んで始めたら飽きているのに気づいてしまったり。

一つのことをし続ける


何事も長続きしないのかというとそうでもない。一つのことをし続けていることもある。

例えば、旅。

訪れたことのない場所に訪れたり、新しい人と出会うことだったり、思いがけないモノコトヒトとの出会いだったり、はじめての海外一人旅や、あの国はちょっと怖そうだからというように、自分にとってちょっとした壁のようなものを乗り越えてみることだったり。

旅という一つのことをし続けているけど、同じことをし続けているわけではなく、はまっていることは、常に変化している。

そうは言っても飽きることもある


しかし、飽きのようなものを旅に感じることもある。

はじめて訪れたある街で、街歩きをし雰囲気が気に入り再訪してみた。街歩きし、前回ときめいた場所に訪れても、ときめきがあまりない。面白そうな店、雰囲気がある路地などを発見することを楽しんでいたのだと思う。

再訪してときめくこともある。お気に入りの場所に行き、そこでのんびり過ごすのが心地よかったりする。

最後に


一つのことをし続けるということは、変化していくわくわくすることをし続けることなのだろう。わくわくすることは変化していくが、根本的に通じるものがあり、最終的に目指したいことへのアプローチであるように思う。

どこかで気づいている飽きに抗いながら、無理して同じことをし続ける必要はないはず。

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