ひとりでもしたくてわくわくの予感がすることは好きの種
「ひとり旅って寂しくない?」
「ひとり旅でもおしゃべりをしようと思えばできるし、そんなに寂しくないかも。」と答えた。
ひとりでどこにでも出向くのかと思われるかもしれないが、そんなことはない。ひとりだと寂しいだろうなと想像し足が向かないことがたくさんある。例えば、家族づれでにぎわう動物園だったり、焼き肉屋だったり。
かなり昔、ひとり旅をしたことがないころ、ひとり旅は寂しいだろうなと想像していたけれど、今はひとり旅好きだ。一方、焼き肉屋には行ってもいいかもと思うけど、家族づれでにぎわう動物園には、今も足が向かない。
動物園は嫌いというわけではない。では、ひとり動物園とひとり旅の違いは何なのだろう?
違いは「わくわくの予感」の差だと思う。ひとりで行ったり、ひとりでもしたくなるくらいのわくわくの予感がするかだ。動物園にはひとりでも行くことはできるが、誘われれば行くという感じ。ことに対する「わくわくの予感」の度合いは、人それぞれ。動物園にひとりでも行きたいくらいわくわくの予感がするけど、ひとり旅はそうでもないという人もいるだろう。
ひとりでもしたいわくわくの予感は、箱の中に「好きの種」がありそうと直観していること。
しようと思いたったらできることがある一方で、自分にはちょっとハードルが高いなあと感じることがある。もうこの年齢だしなあとかで、理由を考えたりして無かったことにする。
直観と理由。すごい好きなことかもしれないよ、それ。箱を開けたら、5年後、10年後それをしている自分がいるかもしれない。箱を開けなかったら、5年後、10年後は何も変わらない。とりあえず飛び込んでみよう。箱をあけてみよう。